凌源市 (Lingyuan)
市名は大凌河の水源であることに由来する. 建平県との境界付近には、紀元前4000年から3000年の紅山文化後期の遺跡である牛河梁遺跡が位置している.
戦国時代は燕の右北平郡に属し、その後秦・前漢により沿襲された. 後漢になると凌源は烏桓、後に鮮卑の勢力地となった. 晋代以降は鮮卑慕容氏の勢力下に置かれ前燕が、その後苻堅により前秦がこの地に建国された.
遼代が成立すると1007年(統和25年)に大定府楡州和衆県、元代には大寧路和衆県とされた.
清朝により承徳府の下に塔子溝庁が設置され本格的な開発が進められた. 1778年(乾隆43年)には建昌県と改編している. 中華民国が成立すると1914年(民国3年)1月に塔溝県、更に8月には凌源県と改称された.
1991年12月21日に県級市に昇格し凌源市と改編され現在に至る.